ユニクロ+無印良品+ダイソー÷3、みたいな感じの店づくりで始まった、中国広東省を本拠とする雑貨店「名創優品/MINISO」。スタジオスモーキーでは早くからこの店に注目して番組開始直後からレポートをして来た。
謎の名創優品/MINISO、現地・深圳からを含めた実店舗のレポートを敢行
今から遡る事約6年半前。2014年5月の配信分として、名創優品/MINISOの本拠に近い深圳に有る実店舗を現地在住のYongさんにレポートをして貰った。
2014年5月5日公開
<Podcast更新>第026回中国で今大ブーム!?名創優品の謎にスモーキーがその情報網を駆使して迫ります!深セン在住Yongさんからの現地レポートも有り、是非ブログと合わせてお楽しみ下さい。
更には、当時の名創優品/MINISOのwebサイトを確認し「本社」として登記されていた都内目黒区に有る住所を実際に訪ねたところ、そこに在るのはワンルームマンションだったり、或いは、同社の創業者と並び立つ存在として大々的に紹介されていた「三宅順也」氏なるデザイナーにも大いに興味をそそられるものだった。
名創優品/MINISO 三宅順也氏のtwitterアカウント
同氏のtwitterはご覧の通り2014年9月以降に更新されておらず、また、そのフォロワーの数も同氏の「知名度」(詳しくは後述する)を考えると少な過ぎるのだが、そもそも中国国内でtwitterは表立って使えないので理解出来なくはない。
中国版twitterと言えばweibo/微博であるが、ここで「三宅順也」と検索してみても大した情報が掲載されていない。
2014年当時の我々は、この謎多き人物を中心として、名創優品/MINISOに対し大いに興味をそそられ、断続的にポッドキャストとブログ記事により、中国現地や本社が在るとされる東京都内の店舗の様子などをレポートしたものだ。
2014年8月20日公開(中国各地にある「名創優品」のコピー店舗のレポートなど)
<ブログのみ更新>深セン在住Yongさんの現地レポート『名創優品/メイソウの今後を予測してみる!』
2014年8月21日公開
<ブログのみ更新>名創優品/メイソウの日本一号店、池袋店に行ってみた!
2014年11月14日公開
<ブログのみ更新>メイソウ/名創優品、日本2号店となる早稲田店へ行ってみた!
ご覧の通り、ツッコミどころと謎の多過ぎる内容が我々の興味と関心を引き付けて止まなかったものだが、時の経過と共に名創優品/MINISOの実店舗を見掛ける機会が増えて行き段々と感覚が麻痺して行った。
驚きの米国市場への株式上場
ここで飛び込んて来た驚きのニュースが、何とこの米中対立時代をものともしない米国株式市場への上場だった。
2020年10月16日付産経新聞ニュースより
中国雑貨チェーン「名創優品」が米上場 ユニクロ、無印を模倣
米国で上場を果たす難しさは説明するまでも無いが、少なくとも中華系の企業で、いわゆる「テック系」や製造業ではない小売業態として米国上場を果たしたのは、先日上場廃止になった「ラッキンコーヒー」以来だと思われる。(リンク先 日経新聞webサイト引用)
こうなると、最早パクリだの模倣だの、などと言う議論はどうでも良くなってしまう。
日本国内においても最近ではイオン系のモールに出店数を伸ばしているとの事だ。
世界中で最も顔が売れている、「無名のデザイナー」三宅順也氏とは?
名創優品/MINISOの創業者として名を連ね、更には実店舗には必ずその顔写真が「チーフデザイナー」との注釈付きで掲示されていた三宅順也氏。氏の存在は「日本(風)品質ブランディング戦略」の中心を担っていたのは間違いのない所。
その気になるプロフィールは、高田賢三氏や山本耀司氏らを輩出した文化服飾学院卒で、現在は削除されている様だが2014年当時に行われた日経ビジネスオンラインのインタビューで年齢を41歳と語っている事から2020年の現在では47歳になっている事、或いは名創優品/MINISOの世界進出に伴う各国への出店時における記念イベントなどへの出席の形跡が見られるものの、とにかく同氏に関する情報が乏しい。
しかし、現在世界各国で約4000店舗を有する名創優品/MINISOにおいて、少なくとも数年前までは店頭に同氏の顔写真が大々的に掲示されており、その意味では「今世界で最も有名な日本人デザイナー」と言う見方も出来る。だが、その正体は不明であり、各メディアが取材を試みた形跡は有るが、何も出てこなかった様だ。正に、奇怪千万な「世界で最も顔が売れている無名デザイナー」である。
さて名創優品/MINISOのwebサイトを見ると、デザイナーの紹介ページが有る。
ご覧の通り、驚くべき事に三宅順也氏の顔写真はおろか、その名前さえも見当たらないのだ。「チーフデザイナー」にして共同創業者、なのに…
ここに挙げられているデザイナー達は皆北欧の国の人間(と言う設定?)となっていて、ここに名創優品/MINISOの戦略の変化が見て取れる。
「日本品質」から、「世界品質」への戦略転換
米国で株式上場を果たしたと言う事は、その戦略は最早アジアに留まらず世界各国、特に、欧米各国への本格進出を狙ったものと考えるのが妥当だ。それに伴うイメージ戦略として北欧のデザイナーを採用したのかも知れない。
元々北欧の国々はお洒落な家具や雑貨を多く生み出して来た土地として有名だ。
最も有名なのはデンマークに本拠を持つ雑貨店フライングタイガーだろう。日本でも店舗を拡充しているのでご存じの方は多いかも知れない。
元々伝統的な中国国内での雑貨の販売方法は実に雑で、例えば、ワゴンなどに山積みにして欲しいものをそこから探し出す、みたいな感じだった。それを名創優品/MINISOは、日本風のディスプレイで分かりやすく陳列し、更には現地の一般的な中国人にとって2010年代初頭にはまだまだ高価だった日本のユニクロ、無印良品を模倣した商品群で売り上げをどんどん伸ばして行った。その中心的な地域となったのは日系企業や日本人が多く在住する広東省で、名創優品/MINISOを目にした現地の日本人がカルト的に拡散したりしてその知名度を上げて行った。その「イメージキャラクター」が三宅順也氏だった訳だ。
そこから米国での株式上場や世界戦略を構築するに当たり、「日本品質」から「世界品質」への戦略変更は自然な流れだ。
さて、ここからどんな展開を名創優品/MINISOは見せてくれるのか?三宅順也氏の去就と共に、改めて関心を掻き立てられている。