日式カラオケ嬢の華麗なる転身1- 出会いは深圳

Shenzhen

今からさかのぼること約7年弱前、当時、出張で年に数回現地を訪れるご縁から、スモーキーの配信第一回目は深圳現地在住のYongさんhttps://twitter.com/yong_gegeと共に収録した現地音源だった。

以降も、何度となくYongさんの協力の元、深圳の夜の街を開拓して行ったものだ。

深圳の「たかみな」

深圳には多くの日本人が在住している。

公表されているデータによると平成30年(2018年)10月1日当時の推計で4,345人が在住しており、中国国内では上海(40,747人。アジアではバンコクに次ぐ人数)、北京(8,197人)、広州(6,833人)、蘇州(5,171人)、大連(4,689人)に次ぐ人数となっている。ちなみに、香港は25,705人とされており、実際の経済圏で考えると広州、香港、深圳を足した数で考えるのが妥当かも知れない。(その意味では、上海と蘇州も経済圏としての括るのが妥当か。)

同様に公表されているデータによると平成27年(2015年)には5,578人の在住とされており、3年間で約20%以上の日本人が深圳を離れた計算になる。2020年現在のコロナ禍の影響で、その減少幅は加速している可能性もあるだろう。

しかしながら、香港や広州との関係を考慮するとこれからも深圳は多くの日本人が出張で訪れる街である事には変わりなく、現地在住者を含めた日本人向けとして「日式カラオケ」は中国各地にある昔からの代表的な遊興施設である。

Yongさんも例に漏れず各所の日式カラオケを制覇しており、その流れで深圳を訪れた或る日、とある店へお連れ頂いた。

ご存じの方も多いと思うが、日式カラオケでは入店すると席に付いてくれる女性を選ぶシステムが有る。(キャバクラに行くと、その時フリーのキャストを席の前にずらりと並べ、その中から選択する、みたいな感じだ。)

これが馴れないとなかなか気恥ずかしいものだが、手慣れた我々は間髪入れず、ずらりと並んだ女性陣から迷うこと無くモノの数秒でお気に入りを選択。その時俺が選んだ女性こそ「深圳のたかみな(AKBの高橋みなみに似ている事から)」と呼ぶK嬢だった。

日本語が堪能

2014年当時のK嬢は、まだ学生で大学に通いながら日式カラオケでアルバイトをしつつ実践的な日本語を勉強していると言っていた(もちろん、金を稼ぐのが一番の目的だが。)ので、年齢は20歳くらいだったと思う。

大学で日本語を学んでおり、日本に留学に行くのが夢で、その資金稼ぎが日式カラオケで働いている理由だと言っていた。その時点で、日本語はそこそこ話せて、少なくとも日式カラオケ店で働くのには充分な日本語能力だった。

その後、1-2回程度そのカラオケ店に行ったのだが、深圳で別の人脈が出来た事も有り、しばらく足が遠のいていた。

2017年6月、現時点では最後の深圳出張として現地を訪れた時、ふとK嬢の事を思い出し、Yongさんに久しぶりに行ってみないか?と尋ねたところ快諾してくれた。

約2年もの時間が流れていると中国に限らず夜の世界では別の店に流れたり、或いは違う道を歩き出したりしているものだ。ましてや、学生なので、同じ店に居るとは1ミリも思わずにその店を訪れた。

そして…

入店した俺の目に飛び込んで来たのは、約2年ぶりの再会となるK嬢だった笑。

結構な売れっ子になったらしく、アルバイトながら「マネージャー」の肩書を与えられており、その接客スキルも中々の上達ぶり。こちらも調子に乗って、スモーキーの音源収録に参加をして貰った。

<podcast更新>第050回節目の50回配信記念、深センからYongさんと深センのたかみなと共にお送りします!ブログと合わせてお楽しみ下さい!!

日本への留学が決定!

そして、その話しの中で何と希望していた日本への留学が決まり、中国での大学を卒業した後、同年10月(中国の学期は9月で終わり)くらいに東京に行くことになった、と実に嬉しそうな顔で俺に告げてくれた。

東京での再会を約束して店を後にしたのだが、やはり色々と不安なのだろう、その後wechatで何かと質問をしてくる。そして、いよいよ東京にやって来る時期となった。

投稿者: スタジオスモーキー カルロス

2013年12月から開始したポッドキャスト番組「スタジオスモーキー」のブログです。 音声では伝えきれないコンテンツを公開して行きます。

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